2021.6.20 お話し下さい。しもべは聞いております! Ⅰサムエル3:1~30:2~19
Ⅰ. 時代の過渡期のエピソード!
「過渡期」とは、国語辞典に「古いものから新しいものへと移り変わる“中間の時期”。また物事が“確立されず動揺”している時期」とあります ―― 電話から携帯、スマホの時代へ…、手紙からメールやラインへ…、車も自動運転の時代へ、…。
現代は“変革の時代”と言われていますが、…では、いつになったら“完成の時代”は来るのでしょうか?
国語辞典の「過渡期」の説明の後半部の――「物事が確立されず、動揺している時期」――という“定義”についてはどうでしょうか?
…“専制国家”とか“独裁主義”などと言う言葉は、もう「死語」と思っていたのですが、今のアジアや世界情勢を見れば、
まだこの言葉は健在、むしろ意気盛んといった感すらします。「過渡期」の“定義”は生きていることを実感しています。
…しかしよく考えて歴史を振り返れば「移り変わり、…かつ動揺していない時代」…という、そんな時代などあったでしょうか?
あったとすればそれはいつ?…そう思ってしまいます。つまりいつの時代も、世界は“過渡期”であるのです。
▼電子版・日経新聞のコラムに、“スウェーデン”の国家戦略の一つに、――「世界が『常に過渡期』であると認識せよ」――という
スローガンが語られているという記事がありました。更に、続けてこう書かれていました。
「『動揺」なくしては「新しさ」も生まれ得ない』…「ああ、そうなんだろうだなあ…」と思わされました。
さて聖書には様々な時代の「過渡期」が語られています。ただしそれらの時代の様々な「過渡期」の中で、
常に神のみ手がイスラエルに差し伸べられていた(神の介入)こともまた、繰り返し証言されているのです。
サムエル記(Iサムエル3章)には長大な初期イスラエルの歴史的記述が綴られています。主な中心人物はダビデであり、サムエル自身はその歴史の“先駆け的人物”という位置づけで記されています。…ですからリビング・バイブルでは本書は「王国成立記」と呼ばれ、「ダビデがイスラエルの王となるまでの(ダビデ台頭史)」、「ダビデの王位がソロモンへと継承されるまで(ダビデ継承史)」として記されています。
3:3→「神のともしびが消される前であり…(神のともし火は、まだ消えておらず)」。この言葉が重要です。
「過渡期」とは確かなものが失われ、全てが移り変わるとめどもない「無常の時」ではないのです。
むしろ、ちょうど船の帆に風が吹きつけて船が前に進むように、神の力がはらむときなのです。
Ⅱ. ハンナとサムエルの信仰の物語!
さて3章にはサムエルの幼年時代の逸話が書かれています。…皆さんは、まだあどけない幼児(おさなご)が床に座って顔を上げ、
小さな手を合わせて祈る風情の絵画を見たことがあるのではないでしょうか?
暗い部屋の中で寝巻き姿のまま、一人ひざまずいて、光に向かって手を合わせて祈っている“あの絵”です。
この絵は18世紀のイギリス宮廷画家、ジョシュア・レノルズという画家の「幼きサムエル」という題が付けられた作品でルーブル美術館に
収蔵されています。…この絵、世界で、“最も心安らぐ名画”と言われている絵なのです。
――サムエルの母、ハンナの信仰――
1:2→サムエルの母ハンナは、“不妊の女性”でしたが、彼女は非常に深く神を愛する人でした。
ところで、1:2→彼女の夫エルカナには正妻のハンナ以外にもう一人、ぺニンナと言う妻がいました。
…彼女は不妊のハンナを1:6~7→軽蔑してはいら立たせ、いじめてばかりいたのです。
そんなハンナの苦しみを、1:8→夫エルカナは十分理解して上げられるような人ではなかったようです。
そんな中1:10→「ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、主に祈った。」とあります。
彼女は逼迫した状況の中にあって、ひたすら神様に救いを求めて祈り抜いたのでした。
11~13→そして神様に「是非男の子をお授け下さい!」と願ったのです。――彼女はただ「子を授けて下さい」との願いではなく、
「自分にもし子をお授け下さったら、一生その子を神様にお捧げします」、そういう祈りであったのです。――
こうして与えられた我が子サムエルを、ハンナは、シロの祭司エリに託して、神殿に仕える者とさせたのでした。歴史家ヨセフスによればこの時サムエルは12歳位だったことが彼の歴史書に記されています。ハンナは神様に願い、誓願した通りに、御前に実行したのです。
ハンナという人が“言行一致”の人だったことが分かります。このような人が神様の祝福を受けないはずがありません。
2:1~10には“ハンナの祈り”が記されています。彼女が素晴らしい信仰者であったということが良く分かる祈りです。
ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。その子孫は地の上で勇士となり、
直ぐな人たちの世代は祝福される 詩篇 112:1~2
さて、3:1→「…その頃、主の言葉はまれにしかなく、幻も示されなかった」とあるように、この時代は神が沈黙を続けられた時代でした。
御言葉不在の時代、霊的に混沌とした時代だったのです。
ではこの時代は本当に神が一方的に“だんまり”を決め込んでおられた時代だったのでしょうか?
そうではなかったということを、サムエルに起きた出来事が問いかけているように思います。そのあたりを見て行きたいと思います。
ある夜のこと、少年サムエルは主の神殿の神の箱(十戒の石板の櫃)が安置された部屋で休んでいました。
まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりは、
私の神の家の門口に立ちたいのです。
まことに、神である主は太陽、また盾。主は恵みと栄光を与え、誠実に歩む者に良いものを拒まれません。
万軍の主よ、なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼する人は。 詩篇 84:10~12
さすが信仰深いハンナの子供! まだ幼いサムエルは主の宮が大好きだったのです。そしてこの時、神様はサムエルに四回も語りかけて
下さっています。サムエルが深く神様に愛されていた証拠です。神を愛する者は神に非常に深く愛されるのです。
イエス様は言われました。マタイ6:33→「神の国と神の義とをまず第一に求めなさい!」と…。
――サムエルの仕事――
3:3→には、「…神のともし火が消される前であり…」と記されていますので、サムエルの務めは聖所にある神の箱の前の灯、常夜灯を消さないように守る、という仕事が与えられていたのでしょう。
出エジプト27:20~21→に、神の箱を安置した幕屋には、常夜灯を灯し続けることが規定されていました。神の宮では、終夜、ともし火が点され続けなければなりませんでした。それは、一晩中ともされ続ける必要がありました。聖所は神の臨在を表す場所でしたから、そこは真っ暗であってはならず、灯火用のオリーブ油も、最高級のものでなければなりませんでした。夕方から朝までずっとです。その番をする人はほとんど“寝ずの番”をして、この任務にあたったのです。それをサムエルはやっていたというのです。
ともしびはキリストを象徴しています。キリストは「わたしは世の光です。」と言われました。闇世を照らす真の光なのです。ともし火は“聖霊様”の象徴でもあります。イエス様は十字架にかかられ、死からよみがえられ、天に帰られた後、教会と私たちに“聖霊様”を送って下さいました。
私たちもこのご聖霊に満たされて歩む必要があります。
パウロは「御霊を消してはなりません」(Ⅰテサロニケ5:19)とも、「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい」(ロ―マ12:11)と述べています。
燃やし続けるには、絶えず燃料を補給する必要があります。私たちの生涯が神に受け入れられている「しるし」として、主の御前から来た聖霊の火によって絶えず自分の祭壇の火が燃やされ続けなければなりません。そして次の世代にもこの「火」は受け継がれなければなりません。
不注意によってもしその火を消してしまうことがあれば、天来の聖なる火の上にたきぎをくべて、「神の賜物を、再び燃え立たせ」(Ⅱテモテ1:6)なければなりません。イエス様も弟子たちにおっしゃいました。「腰に帯をしめ、明かりをともしていなさい」(ルカ12:35)
サムエルはそういうことを来る夜も来る夜も続けていたのでした。そんなある夜、主のみ声がサムエルに下ったのでした。
幼いサムエルでしたが、彼はこの大切な火が消えないように守る役目の意味をよく知っていたのです。それが祝福へとつながりました。
さて私たちはどうするべきでしょうか?
3:1→時刻はもう朝方近く、夜明け前の闇が一番深い頃、夢うつつにサムエルは自分の名を呼ぶ声を聞きました。
「サムエル、サムエル。」 当然、彼はエリが自分を呼んでいると思い、祭司エリのもとに急いで走りました。
3:5→エリはサムエルはまだ子供で、夢でも見て寝ぼけたのだろうと思ったようです。「呼んでいない。寝床に帰って寝なさい」と告げました。
ところが再度、サムエルは声を聞きます。6→「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。わが子よ。
帰って寝なさい。」とまたもエリは答えました。8→「主は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、『はいここにおります。お呼びになりましたので』と言った。エリは、主が少年を呼んでおられるということを悟った。」 同じことが三度も繰り返され、さすがエリも真相に
気付きます。「ああ、主がサムエルを呼んでおられるのだな…」と、…。そして四度目の主からのおことばがサムエルに臨んだのです。
さて、ここに、象徴的な言葉が記されています。
3節→「神のともしびが消される前であり(神のともし火は、まだ消えていなかった)、サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていた。」そして、その前、2節には「…彼(エリ)の目はかすんできて、見えなくなっていた」。という文章です。
…祭司エリの状態は、当時のイスラエルを表しています。エリの息子たちの“振る舞い”(2:34/3:13~14)は、当時のイスラエルの神への信仰が形ばかりのものとなっていまっていたことを表しています。また神殿を取り仕切る神の祭司、エリの目がかすんで良く見えなくなっていたということもまた、「当時のイスラエルの信仰の良心」がほとんど失われていたことを表していました。今やイスラエルは落日の状態にありました。
…しかし…、それでも、なお「神のともし火(あわれみ)は、まだ(完全には)消えていなかった」のです。
士師記には、士21:25→「そのころ、イスラエルには、王がなく、それぞれが自分の目に良いと見える(悪とされる)ことを行っていた」と繰り返し(士17:6)記されています。サムエル記はそれを引き継いで、Ⅰサム3:1→「…そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった」と
語っています。…この時、イスラエルは「過渡期」にあり、イスラエルの暗闇がここにあります。ここでサムエルが用いられました。
彼はイスラエルのまさに破れ口(エゼキエル22:30)に立つ者だったのです。
祭司エリの助言通りにサムエルは見えない者からの声に答えたのでした。3:10→「お話ください。しもべは聞いております」。「それぞれが自分の目に良いと見える(悪とされる)ことを行っていた」と繰りかえして、それ故「主の目に悪とされることを行ってきた」イスラエルが、サムエルによって方向転換を始めることになるのです。「しもべは聞いております、主よ、お話しください」、 このひと言によって。
…神様は、窮地に立つイスラエルを救う為に少年サムエルを用いられました。
なぜサムエルは用いられる人となったのでしょうか?
確かに今まで見て来たように、母親であるハンナが立派な信仰者であったこともその原因の一つであったと思います。
しかし同時にサムエル自身にもその理由があったと考えられます。
それはサムエルが神に最も近いところにいたからであると言えると思われます。彼は主の宮に住んでいました。
彼は環境的に神様にもっとも近い場所に居たのです。そんなサムエルに神の御言が臨んだのです。信仰深かった母ハンナの場合も同じでした。彼女に神のことばが臨んだのも彼女が主の宮に行った時でした→1:9~15/24~28。
ハンナもサムエルも、積極的に神に近づこうとする人たちでした。一方、祭司エリの息子たちの不敬虔な姿は、神を知ろうとせず、
御言を聞こうとしない人間の姿を表しています。
三度目に主がサムエルを呼ばれた時、祭司エリは神からのサムエルへの呼びかけであると初めて気づき次のように告げました。
3:9→「…主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話下さい。しもべは聞いております』と言いなさい。…」。
「主よ、お話ください…」という祈りがあるところ、主のみ言は必ず臨むのです。神の沈黙の原因の一つは、
この、『しもべは聞きます。主よ、お話しください』という祈りが捧げられないことにあるのです。
一般的な宗教でいう「祈り」とは、神に願いごとを申し上げることです。“私が”神に申し上げる、主語はいつも“私”なのです。
一方的に自分の言い分を申し上げて、何となくスッキリした気分になる…そんな祈りになってはいないでしょうか?
聖書が教えている祈りは、「しもべは聞きます。お話しください」であることを覚えたいと思います。
これは、“一方通行的祈り”ではなく、“相互通行的祈り”です。
サムエルの祈りで特に教えられるのは、祈りの順序について…です。
私も神様にいつも祈るのですが、神が私に語られる御言をまず聞くことを忘れてはいけません。その結果、聖書はこう記しています。
3:21→「主は再びシロで現れた。主はシロで主のことばによって、サムエルにご自分を現されたのである。」
神はみことばによってご自分を顕わされるお方です。
ですからまず、私たちは主の御言を聞こうとする必要があるのです。その時に私たちは主と出会うのです。
「聞けイスラエル」「聞け」→…申命記6:4/イザヤ46:3/12/48:12/51:1
Iサムエル3:10→『主よ、お話下さい。しもべは聞いております」…、この順序が大切です。
今日主は、一方通行の信仰生活ではなく、相互通行のある信仰生活へと私たちを招いておられます。
2021.5.23 主イエスに触れる信仰とは! ―マルコ5:25~34―
長い間、血の病を患っていたこの女性がイエス様から力を戴いた幾つかのプロセスを見たいと思います。
Ⅰ. 彼女はイエスのことを耳にした!
彼女がイエスのことを聞いたのは、この時が初めてということではなかったと思われます。前々から彼女はイエス様についての情報を耳にしていたと考えられるのです。
なぜならイエス様が多くの人々に手を差し伸べて次々に“癒しの奇蹟”を行われていたことは、この時点ですでにユダヤ地方ばかりか、周辺地域にも広く知れ渡っていたからです。
マルコ1:38→イエスは彼らに言われた。「 さあ、近くにある別の村や村へ行こう。わたしはそこでも(ガリラヤ全域に渡って)福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから 」。…イエス様の福音宣教への意気込みを強く感じ取ることが出来るおことばです。
…で、その結果…を見てみますと…
マルコ1:39→ こうしてイエスは、ガリラヤ全域に渡って、彼らの会堂で宣べ伝え、悪霊を追い出しておられた。
マルコ1:45→ …しかし、人々はいたるところからイエスのみもとにやって来た。
マルコ3:7~8→ …すると、ガリラヤから出て来た非常に大勢の人々がついて来た。またユダヤから、ヨエルサレムから、イドマヤから、
ヨルダン 川の川向うや、ツロ、シドンあたりからも、非常に大勢の人々が、イエスが行っておられることを聞いてみもとにやって来た。
マルコ3:20→ さてイエスは家に戻られた。すると群衆が再び集まって来たので、イエスと弟子たちは食事をする暇もなかった。
マルコ4:1~2→ イエスは再び湖のほとりで教え始められた。非常に多くの群衆がみもとに集まったので、イエスは湖で船に乘って
腰を下ろされた。…イエスは多くの例えによって教えられた。…
マルコ5:21→ イエスが再び舟で向こう岸に渡られると、大勢の群衆がみもとに集まって来た。…
そして続けて、マルコはこのテキストに出て来るお話を続けて語っているのです。…つまりこの長血の病気を患っていた女性は、イエス様についてのこのような様々な情報をすでに集めてきていたと思われるのです。
今の時代のように新聞もテレビもインターネットも全く無い時代ですから、こういった情報は自分の耳で、足で積極的に集めなければならかったのです。彼女は必死になってこれらのイエス様に関する情報を集めてイエス様が来られる日を待っていたのです。
求めなさい、そうすれば与えられます。捜しなさい、そうすれば見出します。叩きなさい、そうすれば開かれます。 マタイ 7:7
誰でも求める者は受け。探す者は見出し、叩く者には開かれます。 マタイ 7:8
「熱心であれ!熱心であれば願いは叶えられる!」ということです。
彼女はイエスについての情報を熱心に可能な限り求め、探し、扉を叩いたのです。その結果イエスについての様々な情報を得ることができたのでした。それを精査し、正しいと思われる情報を求め、探し、そして的確な情報処理を行い、ついにイエス様のおられる場所にやって来ることが出来たのです。彼女はついにイエス様を見出したのです!
――聞かれるから求める、与えられるから探す!――
しかし、私たちはこの女性の方からイエス様に近づいたと思いがちですが、実はイエス様の方から、この女性の所に来て下さったのです。
「求めよ、さらば与えられん。探せ、そうすれば見出さん。叩け、そうすれば開かれん!」…これは与えて下さる方がいるから、見出されるべきお方が確かにおられるから、また扉を開いて下さる方がおられるからこそ…イエス様はそう言われたのです。幾ら求めても、幾ら探しても、幾ら叩いても、求めに応じ、叩かれている扉を開き、捜している大切なものを与えてくれる者がなければ、それは全て無意味な努力に終わってしまうのではないでしょうか?
私たちの求め続ける思いを、探し出そうとしている心を、叩き続ける姿を主はじっと見ておられるのです。主は遠くにおられる方ではありません。あなたが捜し、求め、叩き続けるすぐそばであなたの思いの真実差さ、熱心さ、信仰を見ておられます。この女性の信仰は情報収集、まず聞くことに始まりました。私たちも聖書のあらゆる情報に聞くべきではないでしょうか?その為にも福音を宣べ伝えなければならないのです。
思いが強い程、それはいずれ形をとるようになるのです。…空を飛びたい…その思いが飛行機になりました。速く走る乗り物が欲しい、その思いが機関車や車になって実現しました。海を渡って遠い国に行きたい!その思いが蒸気船になりました。宇宙に行ってみたい!その思いがスペースシャトルになりました。病気を治したい!この一念が大きく医学を進化させました。
神に癒されたい!この一念が主イエスとの出会いとなり、病気の癒しとなりました。あなたは今、如何ですか?
あなたがすごく本が好きな方であれば、きっと町を歩いておられる時、目に一番焼き付く看板は、「本」という看板が一番に飛び込んでくるでしょう!あなたが医療関係に携わっておられる方であれば、ドライブ中でも、医療関係の看板が真っ先に目に飛び込んでくるでしょう!あなたが大の映画好きであれば、ネットに出て来る映画情報をすぐキャッチするのではないですか?
この長血を患っていた女性の場合も、そうだったと思います。マルコ5-28→ …救われる」と思っていた という文章の直訳は「治ると言っていた」という文章なのです。常々「治る/救われる」そのように彼女は口で告白していたのです。彼女は諦めませんでした。彼女の信仰はこのようにして段々と熟して行って、ついに運命が変わる日が来たのです。信仰はその人の運命を変えるのです。求め、捜し、叩く、信仰によって、素晴らしい現実の世界に移されて行ったのです。
Ⅲ. 彼女はイエスの着物に触れた!
マルコ5-29→すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒されたことをからだに感じた。
5:25によれば、この女の人は長血を患っており、その期間は12年間にも及んでいました。女性の年齢は書かれていませんが、彼女の青春は長い間灰色続きだったのです。
▼今回、私は入院を含めて約二週間程度、安静治療の生活を強いられました。たった二週間でしたが、とても辛い日々でした。熱や痛みも辛かったのですが、それ以上に、教会のことを思うと自分が情けなく思え、無力感にさいなまれたのです。
この女性の場合、12年間自分の無力感にさいなまれ続けたのです。家族に対する申し訳なさ、自分のふがいなさ、何もできないもどかしさ、体の痛み…、更にはこれから先への不安、心細さもあったでしょう。
私も思いました。…「最近のこの体たらくぶりは、何んだお前!毎年のように、体調不良で教会に迷惑をかけているではないか!…ここ十年間で、ヘルニアの手術、両眼の手術、…一昨年は大腸の病気で10日余りの入院。…昨年は、ヘルペス、今年はこの腎臓・尿路感染…。退院できたものの、調子が悪い日が続き、別な病院で診て貰うと、今度は前立腺肥大…で、来年は?再来年は?その次の年は?…と不安は広がって行くわけです。毎日「健康をお守りください…と祈っていたのになあー」…そういうつぶやきがつい口をついて出てしまいます。
仏教で、四苦八苦という言葉がありますが、これは人間には四苦がある。この四苦を「生、老、病、死」と呼び、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみ、この四つの根源的な苦しみを人は避けて生きることは出来ない。それを受け入れて生きることである…と釈迦が言ったというのです。 しかし彼女はこの時、これらの因果に決別してイエスに近づいて行ったのです。
…イエス様は言われました。
マタイ11:28~30→「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」。
彼女はこの世の戒律や教えを越えて、イエスのおことばに従ったのです。そしてキリストの癒しを受けたのです。彼女は勝利者となったのです!
しかし私たちは覚えねばなりません。この時何が起きたかを…。どのようにしてこの癒しが行われたかということを…
ここには、5:30→この時、イエス様から力が出て行ったと書かれています。…思えばイエス様は奇跡を行われる度に、力を失って行かれたのです。沢山の人々がイエス様によって癒されて行きました。その度にイエス様から力は出て行きました。
どれだけ膨大なエネルギーだったことでしょうか?「身を粉にして働く」という言葉がありますが、イエス様こそ人々の魂の救いの為に「身を粉にして」お働き下さったお方なのです。
さてこの女性はイエス様の衣に触れることで癒しを戴くことができましたが、私たちは今、直接的にイエス様に触ることはできません。私たちの目に見える形でイエス様が今おられないからです。…しかし依然としてイエス様に触れることは出来るのです。どのようにして…でしょうか?
ⅰ.十字架に触れることによってイエス様に触れることができます!
十字架は、今も「救いを受ける私たちには神の力です」。モーセが荒野で青銅の蛇を竿に架けた時、それを仰いだ(見た)者(猛毒が体中に回って死に瀕していた人たち)は生きたと聖書の中に書かれています(民数21:4~9)。死にかかっていた人々でしたが、彼らはこの竿を仰ぎ見た時に癒されたのでした。
わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。 イザヤ45:22
私たちはキリストの架かられた十字架を仰ぐとき、そこから力が来ることを今も経験できるのです。信仰によって十字架を見上げるなら、聖霊がその時見上げる者に働いて下さいます。イエス様から私の為に力が出て行くのです。
主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。ロ-マ4:25
私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、
私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。ロ-マ6:6
キリストは、ご自分が私たちのために呪われた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。
ガラテヤ3:13
イエスの十字架がそれらを引き受けて下さった以上、私たちは過去の罪を引きずらなくて良いのです。古い自我の塊、汚れの塊、である自分を引きずらなくて良いのです。先祖が悪かったからどうせ自分もと、呪いを引きずらなくても良いのです。また病も一切お委ね出来るのです。十字架を仰ぐとき、そこから平安と解放の力が伝達されます。私たちは十字架を仰ぐことで今もイエス様に触れ。平安と慰めを得ることができるのです。私たちは十字架を仰ぐことで今もイエス様に触れているのです。
ⅱ.私たちはみことばによってイエス様に触れることができるのです!
――百人隊長の癒しの求め方――
ことばは神であった(ヨハネ1:1)とあります。みことばは単に文字の集まったものではありません。
▼これはカペナウムの町で起きた奇跡物語です。ルカ7:1~10→百人隊長の僕の癒しの記事です。彼の僕が病気で苦しんで死にかけていました。百人隊長はイエスに使いを送り、イエス様がその家に向われると、到着する前、百人隊長はイエス様に使いを出してこう言ったのです。
ルカ7:6~7…→「…主よ、わざわざご足労下さるには及びません。あなた様を、私のような者の屋根の下にお入れする資格はありませんので。ですから、私自身があなた様のもとに伺うのも、ふさわしいと思いませんでした。ただおことばを下さい。そうして私の僕を癒して下さい・・・」
注目すべきことはここで百人隊長はイエス様に最初から最後まで一度も会ってはいないということです。でも彼はイエス様による素晴らしい癒しの奇蹟を戴くことができたばかりか、イエス様から最大限のお誉めの言葉を戴くことができたのです。
イエスはこれを聞いて驚き、振り向いて、ついて来ていた群衆に言われた。「あなたがたに言いますが、わたしはイスラエルのうちでも、これほどの信仰を見たことがありません。」 ルカ7-9
ここにこの物語の素晴らしい価値があるのです。彼はイエス様に直接会うことが可能でした。普通であれば、奇蹟を行う、“時の人”であるイエスにひと目会ってみたいと思うのではないでしょうか?…ではなぜ?彼は家で何をしていたのでしょうか?…恐らく彼は全身全霊で今にも死にそうな下僕に寄り添い続けていたのでしょう。
彼はイエスを救い主と堅く信じていました。だから彼の信仰は、イエスの下さる「おことば」だけで充分だったのです。
…鹿児島に有名人が来ると、どうでしょう?沢山の野次馬たちが集まりますね。イエス様の周ちに集まった多くの群衆もそうでした。「イエスってどんな人だろう?会ってみたいな一目見て見たいなー」…。しかしこの百人隊長は違いました。
イエス様はこの隊長の信仰を絶賛し、喜ばれ、一度も会っていないこの百人隊長の下僕をお癒しになったのです。
主のみことばはイエスそのものである、神の力そのものであると信じたのです!
初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。このお方は初めに神と共におられた。
…全てのものはこのかたによって造られた。造られたものでこの方によらずにできたものは一つもなかった。
この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
…14→「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を来た。
父のみもとから来られた一人子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。 ヨハネ 1:1~5
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、むなしく、帰って来ることはない。
それは、わたしが望む事を成し遂げ、わたしが言い送った事を成功させる。 イザヤ55:11
「みことばの声に聞き従い」 (詩編103:20)、 「主はみことばを送って彼らを癒し」 (詩編107:20)。
スポルジョンは学生たちにいつも教えていたそうです。「みことばはみことばに学べ!」と。「みことばを繰り返して読め!」「その箇所で多く用いられている単語に注目せよ!」、「聖霊によって直接教えられなさい!」「本文になる箇所をよく観察せよ」「毎日のデボーションで示されたことを書き出し、それをノートに記録せよ!数年後、そのノートは素晴らしい注解書になるだろう!」「学んだら、それをあなたの生活に適用せよ」…。
古い言葉ですが、新しい響きとして心に伝わって来るのではありませんか?
あなたは毎日主にみことばを通して主に出会うことができます。それによってあの女性やあの百人隊長と同じように、
私たちはイエス様に触れ、癒されることができるのです。
▼今から16年前の2005年、東京大学 社会科学研究所 で 希望の社会科学(希望学)(HOPE講座)という学問が立ち上げられました。これは色々な角度から、「希望とは何か、どのような社会に希望は生まれるのか、一人一人の希望が、社会や地域にどのような効果を与えるか…などといった問題についての“研究プロジェクト”でした。HPの冒頭にはこのように紹介されています。
――『日本では将来に「希望がない」、「希望が持てない」という人が増えつつあるのではないか?』、2005年、そんな思いからスタートしたのが、“希望学”でした。残念ながらその懸念は、ますます現実のものとなっているようです。“当・社会科学研究所”が、2007年に20歳~39歳だった人々に対して継続的に行っている――「働き方とライフ・スタイルの変化に関する全国調査」――という調査があります。そこでは毎年、『将来の自分の生活・仕事に希望があるか』を尋ねてきました。…すると、自分のこれからの生活や仕事に希望があると答える割合は、2007年に55%だったのが、その後減り続け、最新の2014年の調査では37%まで下がっているのです。…どうやら日本では、将来に希望を持てない人々が、確実に増え続けているようです。…さらに社会科学研究所は、2014年秋から15年春に20歳~59歳を対象として、希望に関する調査を幾つかの国々で行いました。すると、――『将来実現して欲しいこと・させたいことを意味する希望』――を持つ割合は、調査した日本以外の国々では8割~9割に達していたのです。それに対して日本では、仕事、家庭、健康など、何がしかの希望を持つ割合は5割強に過ぎませんでした。…なぜ日本人には、“希望を持てない人”が増えているのでしょうか?…高齢化が進み、健康が損なわれている人が多くなれば、全体として希望は持ちにくくなります。貧困状態にある子供が増え、十分な教育を受けられない人々が増えることも“希望の喪失”につながります。…また社会から孤立し、孤独な状態にある人が増えることも、“希望”を持ちにくくします。…これらの問題に対して、社会に生きる誰もが“希望”を自分たちの手で作り上げて行く為の道筋を、希望学は探し続けています。――
いかがでしょうか?…聖書には、“希望”という言葉が頻繁に用いられています。なぜでしょうか? 聖書は、人が人生を生きる上で、“希望”という“概念”が、非常に重要であることを知っているからです。 …希望の重要性について今朝、少し聖書から考えてみたいと思います。
先に述べた東大の「希望学」研究所の講師の一人が講義の中で――「“希望”の反対語は“喪失”という言葉である」――と述べておられます。「喪失体験」とは人生の中で私たちが様々なものを失って行くことです。私たちは、思いがけない災難、あるいはトラブル、あるいは高齢化から来る衰えや様々な病気…などによって、日々色々なものを失って行きます。…それは少しずつであったり、急激であったりします。…さらにそれらは、自業自得によるものもありますし、あるいは、降って湧いたような災難、 “不可抗力”によるものである場合もある訳ですが、いずれせよ、様々な喪失体験というものは、辛く悲しいものばかりです。
そして“喪失感”がもたらすエネルギーは、非常に大きく、人から“やる気”を失わせ、落ち込ませ、うつ状態へと追い込み、時には死にまで追いやる“パワー”すら持っているのです。
▼東日本大震災から今年はちょうど10年になります。地震と津波によって多くの町々は破壊され、家は根こそぎ押し流され、多数の人命を奪いました。辛うじて残ったものは、家の土台と道路ぐらいでした。それが震災の原風景です。 “安らぎ”、“喜び”、“楽しい思い出”は、一瞬にして奪い去られ、“怒り”や“憤り”を越えた“沈黙”、“不安感”、“喪失感”だけが残りました。このような事態を目の当たりにして、人々はどこに希望を見出したら良いのか。また見出すことができたのか…。追い打ちをかけるかのように、原発事故が重なりました。そして今、更に容赦なく追い打ちをかけているのが新型コロナウイルス感染症です。
…「がんばれ!」という言葉で世界中が東北を応援しました。でも…みんなもうどう頑張ればいいのか分からない。天災、人災、更に容赦なく蔓延する疫病…。幾ら「頑張れ!」と励まされても、遠いところでうつろに響く声になってしまっているのではないでしょうか?
私たちはこれから先、一体どこに、何に“希望”を持って生きて行けば良いのでしょうか?
▼実は、聖書にもこれと似た経験をした人がいるのです。ヨブという人です。ヨブはある日突然、自分の財産の全てが奪われ、また家族の全てを失うという経験をしたのです。その後彼自身、激しい病に蝕まれてしまいます。しかしヨブはこの時、こう語ったと聖書は記しています。
このとき、ヨブは立ち上がって上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、 ヨブ1-20
そして言った。『私は裸で母の胎から出てきた。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな ヨブ1-21
ヨブは一切を失った時、「わたしの全ては神が与えられた。また神が取られたのだ、だから、わたし神のみ名を賛美する。神を褒め称える」、
そう言ってヨブは神を礼拝したのです。
ヨブが全てを失っていったプロセスを見ると、彼が失ったものは、ある場合は人災によるもので、ある場合は、天災によるものでした。しかもこれらの人災や天災は尋常なものではありませんでした。しかしヨブはその全てが、神の手の中で起こったことだと受け止めることができたのです。彼は信仰によって全てを受容することが出来たのです。
私たちは、大惨事に遭遇した時、真っ先に心に浮かぶことは、≪なぜ神がいるなら、このような悲惨なことが起こるのか?≫という思いです。誰しもそんな問いを発するのではないでしょうか?しかし私たちは、こうした事態の中でもう一つの言葉を語ることができるのではないでしょうか?また語らなければならないのではないでしょうか?それは、「今までの、何と多くの恵みに満ちた生活を、神から与えられて来たことだろう」という言葉です。ヨブが語った、「主は与え…」という言葉に注目すべきではないでしょうか?
もし私たちが神について口にし、神に向かって「なぜ」と問いかける場合、同時にそれ以前に私たちはヨブのように、神によって豊かに与えられ続けて来たことも覚えるべきではないでしょうか?――「わたしは今まで何と満たされていたことだろう!」――私たちは、神によって今まで多くの恵みを与えられていたということについても認めるべきではないのか?ということです。「神への感謝の心」です。 その上で、神を論じる必要があるのではないでしょうか?少なくとも私たちは、神を一切を奪った略奪者であるかのように、一方的に批判することは間違いなのです。ヨブはそのことを認識していました。それ故にあの惨状の中で、1:21→「主は与え、主は取られる。」いうことばを発して神を礼拝したのです。この言葉には、深い洞察があると思うのです。 「自分は、何と豊かな主の恵みの御手のうちに置かれていたのか!」この世の全ては神の恵みの御手に中にある。彼はそう認識していました。
そしてもう一つ大事なことは、こうした大惨事に遭遇するとすぐに神の裁きといったことを連想しますが、聖書が語る神は決して人間を一方的に裁き、滅ぼすような方ではなく、それどころか人間に救いのみ手を差し伸べている方であるということをも彼は認識していました。
それが形となったものが、イエス・キリストの十字架です。イエスは手を差し伸べているだけではなく、私たちの救いを実現された方でした。ですからヨブはすぐに神を礼拝し、神に祈ったのです。
…10年前あの日の地震、また大津波はどれぐらいの期間続いたでしょう? 余震はその後も続いたと思いますが太平洋プレートが日本近海で激しく沈み込んだのは一瞬の出来事でした。その他の何百年も何千年も続いて長い時間、私たちは圧倒的に支えられてきていたのです。とすれば、私たちの目の前で起こる理解困難な出来事も、この時のヨブのように、神への信頼の中で受け止めて、神に人生を委ねることができるのではないでしょうか?
わたしがしていることは、今は分からなくても、後で分かるようになります。 ヨハネ 13:7
あなたの重荷を主に委ねよ。主があなたを支えて下さる。主は決して正しい者が揺るがされるようにはなさらない。 詩編 55:22
▼「私には夢(希望)がある…」で始まるアメリカ・バプテスト派の牧師、マルチン・L・キング牧師による演説は有名です。彼の夢(希望)とは、この国で、黒人差別がなくなり、白人と黒人が同じ学校で学び、同じレストランで食事をし、同じ職場で働き、やがて黒人の代議士が登場し、白人と黒人が共存共栄する日を待ち望むことでしたが、その40年後に現れた、米国44代大統領は黒人大統領のバラク・オバマでした。 キング牧師の夢はかなったのです。彼の希望は当時差別主義者たちから、どれだけ阻止されようとしたか測り知ることはできない程でした。 キング牧師に対してあり得る限りの誹謗中傷や暴力が計られました。しかし、彼への迫害が、彼の信仰から来る希望と夢を飲み込むことは出来ませんでした。そして40年後、彼の夢は実を結びました。
キング牧師の夢と希望は、今もなお全アメリカ全土で前進していると言って良いでしょう。確かに夢や希望は力を生み出すのです。 ウィリアム・シェークスピアは――「不幸を治す薬は、ただもう希望より他にない。」――と言いました。耳が聞こえず、喋れず、目が見えなかった“三重苦”の聖女、ヘレンケラーも言っています。――「希望こそ、人を成功に導く力です。希望がなくして何事も成就することはできません。」――また偉大な宗教改革者、ドイツ人のマルチン・ルーテルも言いました。――「この世を動かす力は希望である。やがて成長して果実が得られるという希望なしに、農夫は畑に種は蒔かない。たとえ明日が終りの日であると分かっていても、私は明日を夢見て、畑にリンゴの苗を植え続ける。」――と言っています。
神から来る望みは、生ける望みである! Ⅰペテロ1:3~4
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛、これら三つです。 Ⅰコリント13:13
全米でベストセラーとなり、映画化もされ、日本でも最近売れている一冊の本があります。「きっとイエス(ハイ)と言ってもらえる!」というタイトルの本です。
▼アメリカの北西部に何十年にも渡って、売り上げナンバーワンのトップセールスマンがいました。ビル・ポータさんーという人です。彼は幼い頃、“脳性小児麻痺”にかかり、以来、手足や唇に障害が残り、歩く速度も人より遅く、言葉もうまく喋れない人です。しかし、敬虔なクリスチャンであった彼の両親は、――「ビルは神様が預けて下さった私たちの大切な宝物だ!」――そう感謝しながら、大きな愛で受け止め、祈りながら、息子を育て上げたのです。
やがてビルが成人になった時、彼が選んだ仕事は、何と「訪問セールスマン」だったのです。なぜでしょう? 彼の父親が優秀なセールスマンだったからです。お父さんはビルの憧れだったのです。彼は父親を心から尊敬していました。後に彼はこう言っています。
「何度か父の仕事場に行ったことがある。父はどの家を訪問した時も、家にいる時と同じように、誠実で柔和だった。父は、いつも人の心を引き付ける魅力を持っていた。いつも神を呼んでいた。訪問先ではどんな具合に語れば、また接すればいいかと母と二人で神に祈っていた。…だから職場のどの人よりも、父の姿は素晴らしかった。母親もそう思っていたはずだ。二人とも、いつも神のなさることに期待し、主の導きを信じていた。私はそれを受け継いでいる。」
ワトキンス社の面接を受けたポーターさんでしたが両足は不自由、動作はのろい、発音もはっきりしない…。三拍子揃ってセールスに向いていないので、面接官には全く相手をされませんでした。ですが彼はねばって面接官に向かって言ったのです。「僕は必ずいい仕事をすると思います。理由は僕が優秀なセールスマンの父親の子供だからです。ですから是非僕に売り上げの最低の地区を任せて見て下さい。お願いします!」
面接官はあきれ返りましたが、余りにも熱心に食い下がるので、熱意に負けてポーターさんは念願のセールスマンカバンを手に仕事を始めることが出来ました。 毎朝起きると一番に、聖書を読むことから始めます。祈ります。遅刻せず皆勤(かいきん)し、仕事をする真面目なポーターさんでしたが、やはり現実はなまやさしくありません。セールスの仕事は予想をはるかに超えて、物凄く厳しかったのです。それでも彼は毎日、一軒一軒ドアをノックしては、地道に訪問販売活動を続けました。ですが、その都度断られました。「ノーだ。要らないよ!」… しかしポーターさんは、この「ノー、要りません!」という返事を、「今日のところは要りません、次に、時間があるときに来て下さい。もっと別の興味ある商品を持ってきて下さい!」 そのように“前向き”な言葉として捉えました。彼も落ち込む日がありました。でもそんなとき、彼がいつも唱えていた言葉がありました。――「いつか必ず、自分にオーケーといってくれる人に出会える!神は、必ず私の前にその人を用意しておられる。お父さんもいつもそう言っていた!」――。「今はいない、わからない。でも、きっと「オッケー、サンキュー!」と言って、僕の商品を受け入れてくれる人を神様は備えておられる!」そう信じて、雨の日も風の日も、ドアをノックし続けた。数十年後、気がついてみると、彼はワトキンス社のナンバーワン、それどころか“全米ナンバーワン”のトップセールスマンになっていたのです。
・ 人の道は主の目にある。主はその道筋の全てに心を配っておられる 箴言5:21
・ 聖書は全て、私たちを教える為に書かれました。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。どうか、忍耐と励ましの神があなた方に、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを抱かせて下さいますように。 ローマ5:4
Ⅰコリント13:13→「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛、これら三つです」。――彼の成功の秘訣、それは、たとえ、どんな状況下に置かれても、たとえ境遇がどんなに良くなくても、「僕は大丈夫だ。僕には神様が明るい未来を用意して下さっているのだから」という希望があったからなのです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
ローマ5:5
ダニエル6章→友に裏切られ、無実の罪を着せられ、死刑判決を待つだけだったダニエルは、最悪の状況の中にあっても、ひたすら神のお導きを信じ、神だけに希望を託して部屋で祈り続けていました。その結果、奇跡が起こりました。
「患難に耐え、 絶えず祈りに励み、望みを抱いて喜びなさい。」 聖書は、そのように私たちに教えています。
信仰者の持つ望みは喜びに満ちています。希望が“復活のイエス・キリスト”から来るものだからです。
冒頭に挙げた、東大の研究所による調査で、「希望が持てない」という人が増えつつあることを紹介しましたが、これらの方々は実は「希望がない」というよりは、「信じるものがない」と言えるのではないかと思うのです。
目に見えない大切なもの、希望や愛や友情を手に入れるためには、まず、「信じる心(正しい神への信仰心)を持つ」ということが不可欠です。
もう一つ、大切なことがあります。それは、「その信じる対象が不確かなものであるなら、それによって、結果として生まれてくる希望も不確かなものになってしまう」という事実です。実態のないものをいくら強く信じていたところでそこから生まれてくる希望は最終的には実体のないものになるのは当然の帰結です。ポーターさんは熱心なクリスチャンの両親によって豊かな愛の中で育てられました。彼がセールスマンになっても 希望を失わずに仕事ができたのは、彼が神を“信じる”思いを心にしっかりと持って生きたからだと思うのです。
朽ちることのない希望(Ⅰペテロ1:3~4)、いつまでも残る希望(Ⅰコリント13:13)、失望に終わらない希望(ローマ5:5)、
つまり、神から与えられるこの希望を持ってこの週も歩んで行きましょう。
そして私たちの持つこの希望は、「幕の内側」つまり、天国に至るという希望なのです。
私たちが持っているこの希望は、安全で確かな、たましいの錨のようなものであり、また幕の内側にまで入って行くものです。 へブル6-19
2021.4.4 イースター礼拝 復活のメッセージの豊かさ! ―マタイ28:1/ルカ24:12―
教会にとってイースターは、クリスマスと並ぶ大切な日です。イエス・キリストは、金曜日ローマ兵士によってほぼ一日がかりで
十字架で殺されました。ガリラヤから従って来た弟子たちは、「もう何もかも駄目だ!もう、何の望みもない!全てこれで終わりだ!」
…彼らは、そのように絶望していたのです。
そのイエス・キリストが十字架に磔にされて殺され墓に葬られて、三日目後の日曜日の朝復活して、弟子たちの前に現われたのです。
初め弟子たちは…キリストの復活を信じることが出来ませんでした。ですが、その後イエスの声を聞き、御身体に触れることで、真に主が復活されたことを知り、キリストを「神の子」として礼拝するようになり、こうして教会が生まれたのです。以来、キリスト教会では、キリストが復活された日曜日を「主の日/聖日」と呼び礼拝を持つようになりました。その礼拝は二千年間途絶えることなく続けられて今日に至っているのです。したがって日曜礼拝というのは、全て「復活記念礼拝」であり、その中心に位置するのが、イースターの出来事であるのです。
イエスは金曜日の朝9時に十字架にかけられました。処刑は早朝から始まっていたからです。十字架に掛けられていた時間だけでも六時間だったということです。この時、男の弟子たちは恐ろしくなり逃げていて、婦人たちだけが十字架の下に残っていました。…午後3時、イエスが息を引き取られると、エルサレムの有力者で“隠れキリシタン”であった、アリマタヤのヨセフが、総督ピラトに願い出て、イエスの遺体を引き取って自分が所有している墓に納めました。
……翌日土曜日は、ユダヤ人の“安息日”でしたので外出は禁止されていました。それで婦人たちは三日後の日曜日早朝、イエスが葬られたお墓に香料と香油とを持ってやって来ました。イエス様の遺体が葬られたのは三日前でしたからもう腐り始めているであろうご遺体についている血を奇麗に洗い清め、裂かれたお身体を整えて、きちんと葬って上げたいと願って墓まで来たのです。…ですが彼女たちは不安を感じていました。イエスが葬られたお墓は、ローマが封印した巨大な石蓋で閉じられていたのです。…それは、腐敗臭が外に漏れ出したり、動物たちが墓に侵入して遺体に損傷を与えないよう、或いは悪質な強盗団によって盗掘されないように墓を守る為のものでありました。この墓は、エルサレムの有力者アリマタヤのヨセフの墓でしたので堂々たる立派なお墓でありました。
しかし、これは、アリマタヤのヨセフが知らずにした事でしたが、彼がしたことは実は復活に関する旧約聖書の預言の成就であったのです。B・C7世紀に活動した旧約の預言者イザヤはこう預言していたのです。
イザヤ53:9→「彼の墓は、悪者どもと共に、富む者と共に設けられた。彼は不法を働かず、その口に欺きはなかったが。…」
イエスの遺体は立派なお墓に収められる必要があったのです。なぜでしょうか?その後の復活が目立つためにです。
当時、犯罪者・罪人として処刑された者の死体は汚れた死体として扱われたので、 “ゴミ捨て場”として使われていた“共同墓地”に投げ込まれたのです。そんな場所に捨てられた死体に興味を持つ人など誰もいませんでした。しかしエルサレム有数の大金持ちが所有する、しかもまだ真新しい墓に葬られ、さらにローマ皇帝の“紋章入り”の封印が付いた遺体が消えたとすれば、これは一大事件です! 大富豪のヨセフがサンヘドリンの有力議員であった、ニコデモと一緒に遺体を十字架から下ろし、「富む者」のお墓に葬ったことでイエスの復活の舞台が整えられることとなったのです。
▼アリマタヤのヨセフがそこまで深読みしてイエスの遺体を自分の墓に葬った訳ではありません。しかし結果的には、イザヤのメシア預言の成就の為にヨセフは一役かったことになったのです。…何気なくやったことでも、勇気を惜しまず、少しでも神の為に…と思って行動することが素晴らしい結果を生み出すのです。色々迷いながらでも、主の為になればと行動する時、神様は、その働きを祝福されるのです。先が見えなくても、たとえ手探りのような状態であっても、「今、ここで、自分にできること」を大胆に行うとする勇気が、結果的に、期待をはるかに越えた明日を開く原動力になることを覚えたいものです。
▼ルカ23:56、24:1→「それから、戻って香料と香油を用意した。そして安息日には、戒めにしたがって休んだ。週の初めの日の明け方早く、彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た。」
合理的に考えれば、彼女たちがしようとしていた行動など殆ど意味ないことでした。墓に葬られて三日後の遺体です。中東の酷暑の中腐敗は早いのです。しかも墓は巨大な石で蓋をされてあって中には入れないのです。でも彼女たちは行かずにはおれませんでした。…ただ、それは彼女たちの優しさから生み出された行為だったのです。 神は、そのような彼女たちの、人間としての情、優しさを喜ばれました。
主は彼女たちを“最初の復活の証人”として下さったのです。
マタ28:1~8→彼女たちが墓に着くと、例のあの大きな石蓋は既に取り除かれていたのです。そして、巨大な墓石の上には稲妻のように輝く天使が座っていたのです。番兵たちも、婦人たちも驚き、また怖れました。ルカは、彼女たちが「恐ろしくなって地面に顔を伏せた」と書いています。さらに婦人たちは天使の声を聞きます。
ルカ24:6→ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられた頃、主がお話になったことを思い出しなさい。…
Ⅱ.主の復活とは何か?
主の復活についての四福音書の記述は様々です。ただ、復活を信じることがいかに困難であったかについては、各福音書とも共通して伝えています。マルコは主の復活を告げ知らされた婦人たちが、マルコ16:8→「震え上がり、気も動転していた(正気を失った)」 と記し、ルカは婦人たちの報告を聞いた弟子たちが、ルカ24:11→「この話はたわごとのように思われたので、使徒たちは彼女たちを信じなかった」 と記します。マタイは、復活のイエスに出会った弟子たちがマタイ28:17→「疑う者たちもいた」 と語り、ヨハネは、報告を受けたペテロが遺体が消えたことの確認の為に墓に急ぎますが、ヨハネ20:9→イエスの復活を「理解していなかった(信じなかった)」 と記しています。
…復活はそれを直接目撃した人でさえ、信じがたい出来事だったのです。
確かにキリストの復活はそれが起こったどうか客観的に証明することは出来ない事柄であり、信仰的出来事ではあります。
▼青山学院短大で「キリスト教学」の講義を担当している、荒瀬牧彦(あらせまきひこ)という牧師は、ある時復活について講義をした時の体験をこう綴っています。――「ある短大のキリスト教学の授業で、復活の講義をした。聖書の復活記事を読んで、―『主はよみがえられたという叫びからすべては始まった』―と話した。…自分自身の“復活信仰”を交えながら、“講義”というよりは、むしろ“説教”の調子で情熱を込めて、説得的に語ったつもりだった。…授業の後、聖書に関心を持ち、いつも良い応答をしてくれる学生がやって来て、苦笑しながら心底あきれたという口調でこう言った―『…マジでこんなこと信じているんですか?』―。アテネ伝道の挫折で打ちひしがれたパウロのような気分で教室を後にした」――。
パウロのアテネ伝道の記事は使徒17章にあります。パウロがイエスの十字架と復活を語り始めると、人々は使徒17-32→「死者の復活のことを聞くと、ある人たちはあざ笑ったが、他の人たちは『そのことについては、もう一度聞くことにしよう』と言って、離れて行った」のです。『…マジでこんなこと信じているんですか?』…これが、復活についての世間一般の考え方でしょう。
「十字架と復活」はどの国においても、どの時代においても嘲笑と拒否を招きます。…にもかかわらず、教会はこの福音を語り続けるのです。それが真理であるからです。“真理”には“客観的真理”と“実存的真理”があります。客観的真理は、誰にでも理解しうる真理、科学的・実証的真理です。地球は丸い、重力がある。人間は死ぬ、…これらは誰にも異論のない客観的真理です。…それに対して、実存的真理とは――例えば、「神が私たちを創造された」、「神が私たちを生かしておられる」、「愛しておられる」…等といった主観的な真理です。…それらの真理は、信じた時、それは真理となるのです。そして「真理は人を自由にする」(ヨハネ8:32)と私たちに聖書は教えます。実際、この実存的真理は信じなくてもとりあえずは困りません。…しかし、信じる時、人生の意味が変わってきます。 ですから教会はこの復活の真理を語り続けるのです。
▼以前、看護師さんからこんな言葉を聞いたことがあります。――「病院で、クリスチャンの方が亡くなられる時と、そうでない方が亡くなられる時とでは、何かが違うように思うんです。家族の皆さんもそうなのです。少し違うような気がするんです。なぜなんでしょう?何か不思議な力、というか安心感のようなものをはた目に感じるのです」――。
クリスチャンは人間が死んだらおしまいで何にも無くなってしまう、とは考えてはいません。天国があると心から信じています。復活があると信じているのです。ですから、死はクリスチャンにとって天国への入り口なのです。確かに、二度とこの世で会えなくなることは寂しいことです。でも本人も残される家族も、天国で必ず再会することを信じているのです。ですからある方は、「お先にね」、と言って亡くなります。また、「See you again!(また会いましょう)」と言って亡くなられる方もあるのです。これが実存的真理の力です。
Ⅰコリント15:3~5でパウロは記しています。「私が最も大切なこととして私があなた方に伝えたのは、…また、聖書に書いてある通りに、三日目によみがえられたこと、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです…」
聖書はイエスの復活を客観的に観察して、それが事実であることを論証しようとはしていません。むしろ人々が全てを変えられて行った事実をのみ伝えています。
Ⅲ.主の復活は私たちを活かす力!
それは、何よりもイエスの弟子たちの変化に見ることができると思います。弟子たちは主の復活を知らされたことで大きく変えられたのです。彼らは平凡な人々でした。ですがこの出来事が世界史を変えていったことは純然たる事実です。イエスが十字架で死なれた時、弟子たちは逃げて蜘蛛の子を散らすようにイエスから去って行きました。日曜日の朝も、弟子たちは「家の戸に鍵をかけて閉じこもった」ままでした(ヨハネ20:19)。弟子たちはイエスを処刑した人々が、自分たちも捕えるのではないかと怖れていました。
そんな弟子たちが数週間後、神殿の広場で「あなたたちが十字架で殺したイエスは復活された。私たちがその証人だ」 と宣教を始めた(使徒3:15)のです。その後逮捕され、拷問を受けても彼らは主張を変えませんでした。弟子たちの人生を一変させる何かが起こったのです。それが「復活のイエスとの出会いだった」のです。パウロの場合もそうでした。復活信仰は、全ての人を大きく変える力があるのです。
▼考えて見ましょう。イエスの伝道の生涯はわずか三年間に過ぎませんでした。これは仏陀やマホメットなどとは段違いの短さです。弟子たちは他の宗教家のように、何十年に渡る特別な修行を積んだ人たちではありませんでした。イエス・キリストとはわずか三年半という短い交わりしか持っていなかったのです。ですから彼らはほとんど修行らしい修行も積んでいませんでした。そんな弟子たちが、その後世界に広がるキリスト教会の基礎を作って行ったということ自体不思議なことです。無教養で、粗野で、人間的に頼りない、ひ弱な人たちだった彼らが、幾らイエスが素晴らしい、神の人であったにせよ、わずか三年間程度で…、人はそう大きく変われるものではありません。
しかし彼らは変えられて行きました。そしてそれは、私たちにも言えるのです。クリスマスの挨拶ことばは「メリー・クリスマス」ですが、イースターの挨拶は、「ハッピー・イースター」です。どうしてハッピーなのでしょう?「幸せ」を意味する「ハッピー」という言葉は「ハプン」から来ているそうです。「ハプニング」などと言いますが、「不思議な出来事」「偶然の出来事」みたいなニュアンスでしょうか。まさに彼らに起こったことがそうでした。しかし全員にそれは起こったことですから、その変化は偶然の変化ではなかったのです。弟子たちはキリストの復活の力を戴き、偉大な力をまとうことができたのです。そしてこの力はキリストの復活に出会う者なら、誰にでも与えられるのです。もちろん私も、そしてあなたも、です。
●――“サバン症候群”の人から教えられること――●
▼復活とは関係ない話ですが、一つの例をお話しましょう。以前、私は、“サバン症候群”を取り上げたテレビ番組を見ました。“サバン”というのはフランス語で“賢人”とか“天才”という意味です。“サバン症候群”とは、ごく特定の分野に限って、普通の人には及びもつかない超人的な能力を発揮する症状を言います。その代表的な人物に、アメリカユタ州に住んでいた、キム・ピークという人がいました。映画“レインマン”のモデルとなった人です。彼は生後18ヶ月目から、本を読み始めるのですが、1ページ当たり8秒ほど眺めてはペラペラとめくって正確に覚えていくのです。分厚い電話帳の住所、氏名、電話番号も、あっという間に全部正確に記憶してしまうのです。58歳で亡くなるまで、暗記した本の数が1万冊を突破したのだそうです。彼はアメリカのどこでも即ガイドになれたでしょう。というのは、全米のあらゆる町の地図をくまなく覚えてしまっていたからです。西暦3000年分の何月何日が何曜日であるかを全部言い当てることが出来たのです。
また、レスリー・レムケという人は両方の眼球が無く何も見えず、発達障害と脳性麻痺のある方でした。14才の時でした。数時間前にテレビで初めて聞いたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番をよどみなく、完璧に弾き始め、弾きこなしてしまったのです。驚くべきことに、彼はそれまでピアノのレッスンを一度も受けたことはありませんでしたし、その後も一度も受けていません。しかし全米はおろか、海外のコンサートに多数出演し、何千曲を演奏し、歌い続けたのです。…こういった人たちの脳の一部には障害があります。しかしその脳の障害がこれらの才能を表していると考えられています。よく、右脳は“芸術脳”、左脳は“論理脳”と言われていて、普通はこの両方の脳が協力し合いながら活動します。ところが“サバン症候群”では、論理の左脳が働きません。左脳の抑制力が効かないことで、右脳が自由に発達して超人的な能力が得られたのではないかと推測されています。つまり、脳の活動には衰えはないと言うのです。
私はそのレポートを見ながら人間は、自分が思っているよりも遙かにすごいものとして、神に造られているのだと思いました。サバン症候群の人たちが活用しているのは、脳のごく一部です。また、左脳はほとんど用いられていないようです。つまり、人間の脳はほとんど使われないままになっているのです。いや、80年という人生の時間では、使い切れないほどの性能、キャパシティーがあるというのが、私たちの脳なのです。人類の中で未だかつて脳を完全に使い切ったという人間は、誰もいません。使い切るには80年、90年というのは、短過ぎます。つまり人間は始めからこんな短い寿命に生きるように造られていたのではなく、永遠に生きるように設計されていた“痕跡”とも言えるのです。
▼ロシアの小説家ドストエフスキーは、若い頃に社会主義の影響を受けて、革命運動に参加し、逮捕され、シベリアへ流刑になりました。流刑地で読むことを許されていた書籍は聖書のみで、彼は4年間の獄中生活の中で、特に福音書を繰り返し読むのです。そしてある時、2000年前に書かれた聖書の出来事が、「今ここにある」出来事として甦り、時空を超えてイエスに出会う体験をするのです。そして聖書を通して人生の意味がはっきりと見え始め、それを作品として発表し、その作品は多くの人々に人生を変えるほどの衝撃を与えるようになります。「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」、「カラマーゾフの兄弟」等の名作が生まれた背景にあるのは彼のこの“復活体験”だと言われています。流刑地での神との出会いが無ければ、彼の作品は生まれず、彼の作品を通して信仰に導かれる人もいなかったでしょう。神は、シベリア流刑という不幸な出来事を通して、ドストエフスキーを祝福されたのです。
キリストの復活を信じる時、人生の意味が変わってきます。キリストは十字架上で権力者によって殺されました。しかし、神はそのイエスを「死人の中から起こされた」、神は悪をそのままには放置されないことを、私たちは復活を通して知らされます。ですから私たちは悪に屈服しません。どのような困難があっても、神が共にいて下さるゆえに、私たちは絶望しません。神が必ず道を開いて下さることを信じるからです。私たちが復活を信じるということは、この世界が究極的には、「神の支配される良き世界」であることを信じることです。その信仰が希望をもたらし、希望は私たちに行動をもたらします。復活信仰は人間に生きる力を与え、人を「幸せな人生」ではなく、「意味のある人生」に導くのです。 イエス・キリストはあるとき、こう言われました。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていて
わたしを信じる者はみな、永遠に死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか?」 ヨハネ11-25~26
日本人の多くの方は人間、死んだら終わり、と思っています。でも本当に終わりなのでしょうか。聖書は、そうではない、天国があるといいます。どちらが正しいのでしょうか。
夏のオリンピック競技の花の一つはマラソンでしょう。やっと走り切ってゴールのテープを切った瞬間、もし、何もなくなり消滅するなら、その人は一体、何のために走るのでしょうか。テープの向こうに栄冠があり、またそこで親しい人たちが出迎え、待ち構えてくれているからこそ、長く苦しい道のりを走りきる意味と喜びがあるのではないでしょうか。もちろん走り切るプロセスは大切です。でも、プロセスは目的になるわけではありません。もし、ゴールのテープを切る瞬間に自分が消滅するなら、ゴールは目指すべきものではなく、ただの恐怖の瞬間でしかないはずです。消滅する瞬間が近づけば近づく程憂鬱になるのではありませんか?そしてゴールは悲しみに打ちひしがれる瞬間になってしまうのではありませんか?人生とはそんなものなのでしょうか?わたしは両手を挙げて喜んでそのゴールを走り抜けたいと思います。
死に勝つ者は誰もいません。未だ死を征服した者はいません。
しかし聖書は教えています。「死に勝つ者とは誰か。イエスを神の御子と信じる者ではないか!」と。
死はキリストに呑み込まれた。詩よ、お前の勝利はどこにあるのか。 Ⅰコリント15:54~55
世界を変え、何十億の人たちに死の向こうにある希望を示し続けたイエスの言葉に、耳を傾けましょう。神のことばを信じましょう。素直に従いましょう。その時、あなたは死んでも生きる力を神から戴くことができるのです!
2021.3.28 オルナンの打ち場…考! ―Ⅰ歴代21:14~30/Ⅱサム24:15~25
Ⅰ.「オルナンの打ち場」とダビデ王!
「オルナン」とは、人の名前で、ヘブル語で「喜びの声を上げる」というような意味を持っています。「打ち場」とは日本で言えば「脱穀場」、「精米所」のような場所で、オルナンはここの主だったと考えられます。やがてダビデはこの打ち場をオルナンから譲り受け、
「主の祭壇」を築く(Ⅰ歴代22:1)のですが、その後この場所は、BC950年、ソロモンによって「エルサレムの神殿」→(Ⅱ歴代3:1)が建つことになるのです。まさしくこの脱穀場はオルナンにとっても、ダビデにとっても、イスラエルにとっても、「喜びの声を上げる」に
ふさわしい場所に変えられて行ったのです。
▼ I歴代21:2~7には、ダビデが人口調査の罪について記され、神からの厳しい“災い”がエルサレムに臨んだという出来事が記されていま
す。この人口調査、何が悪かったのでしょう? イスラエルの歴史の中では、モーセの時代、すでに人口調査は行われていたはずで、
「民数記」という書名自体、モーセによる人口調査から取られた書名だったくらいです。…では何が悪かったのでしょうか?
…理由は、モーセの時の人口調査は、神からの命によるものでした。しかし、今回のダビデによるものは、“サタンのそそのかし”によるもの
だったと、I歴代21:1~2は記しています。ダビデ自身も21:2→でこう言っています。「…その人数を私が知るためだ」と…。
この言葉から、この人口調査が、神にではなく自分の利益の為、自分の栄光の為に行ったものであることが判るのです。
サタンはダビデの弱点をよく知っており彼を強くそそのかしたのです。この人口調査は徴兵制を導入したり、
国民に膨大な税金を課す政策のためであり、ダビデによる王制を盤石なものにしようとするものでした。
そして人材、軍事力、財力をたっぷり蓄え王として君臨し、それらの資源を、後継者ソロモンに引き継がせようとしたのです。
それは、かつての神のみに信頼したダビデの信仰とは遠くかけ離れた考え方であって、不信仰に満ちたものでありました。
神はそんなダビデに対してはなはだ怒られました。
21:7→「この命令は、神の目に悪しきことであった。神はイスラエルを打たれた」
神の怒りを買ったダビデは、先見者ガドを通して三つの選択肢を提示されます。21:9~13→どうせなら神の手に落ちた方が潔いと
彼は考えたようですが、神の審きは思いもよらず激しく、三日間の“疫病”で21:14→「…七万人が倒れ」たのでした。
ダビデは神の審きを甘く見ていたのです。
――武漢の新型コロナウイルス騒動――
▼ 中国宣教レポートによると、一昨年、新型コロナウイルス発生の地となった“武漢”は2019年、キリスト教会への迫害が国内でも最もひど
く、48あった“地下教会”が当局によって全滅させられた地域でした。武漢は“中国宗教規制政策”の模範地指定とされていた場所だったのです。
2019年末には、全ての地下キリスト教宣教師は強制追放、拘束され、生存不明の人も多いのです。…しかし、今回のコロナ騒ぎで宗教規制を
実行する部門の最高幹部であった人が怪死を遂げたと言われています。ウイルスにやられたのかも知れません。不思議なことです。
あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。 詩編91:8
しかし逆の場合があるのです。オルナンがそうでした。彼は審きの渦中でしっかり御使いによって守られていたのです。→詩91:3~15
▼21:21→ダビデがこの打打ち場に来た時、オルナンはダビデの前にひれ伏しました。彼は信仰深いだけでなく、誠実で、真摯な人だった
ようです。いつでも、主に全てを捧げる心備えを持った人でした。ゆえに彼は神にも御使いにもダビデにも深く愛され、守られたのです。
…今、コロナ禍にあって、私たちは「非常事態宣言」という言葉を頻繁に聞いていますが、オルナンと息子たちは、まさにこのような
「非常事態、異常事態」の中にあって、神によって守られていたのです。→マラキ4:1~2
Ⅱ.「オルナンの打ち場」と御使い!
この一連の出来事を通して、幾つか霊的教訓を考えて見たいと思います。この21章には、14/15/16/18/20など他の聖書箇所以上
に、「御使い」の活躍が描かれていることです。新約聖書の黙示録にも“御使い”の大活躍が語られていますが、その描かれ方に少し似て
います。黙示録は終末の時代に滅ぼす御使いが活躍するのですが、この21章に登場する御使いも“滅びの御使い”です。
私たちは御使いの存在をどれくらい意識して生活しているでしょうか?…オルナンはこの時、災いの中心地に身を置いていましたが、
家族は害を受けることもなく、仕事をし続けることが出来ていたのです。なぜなら災いが“神から遣わされた”滅びの御使い“によるものだった
からです。彼は守られたのです。(21:15~16)。
このことは、いかに終末時代が来ようとも真の神の民は守られることを私たちに教えてくれているのです。
――打ち場(審き)――
…もう一つ、オルナンの「打ち場」ということばも注目したい言葉です。「打ち場」とは、収穫した麦を叩いて、麦”と“殻”とを仕分ける場所
です。聖書の中で、「打ち場」は、“審き”と関連して述べられている場合が多いのです(マタイ3:12)。この「オルナンの打ち場」は
「神の審き」を意味していると理解することが出来るのです。このオルナンの打ち場を、天使たちが審きを行う作戦本部として用いたのです。
――キリストの十字架とダビデ王のとりなし――
Ⅰ歴代21:16~18でダビデは民を滅ぼす御使いにとりなしを願っています。王は自分の金を払い、代価を払って災いの場所、
「オルナンの打ち場」を買い取りました。これは真の王である主イエスキリストの十字架と執り成しの予型です。
まさにそれはご自分の命の犠牲、流した血の代価で民を買い取って(贖って)下さったキリストに通じるものがあります。
ダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のささげものと交わりのいけにえを捧げ、主を呼んだ。
主は、全焼の捧げものの祭壇の上に天から火を下し、彼に答えられた。
主が御使いに命じられたので、御使いは剣をさやに収めた。 Ⅰ歴代21:26~27
――モリヤの山――
ソロモンは、エルサレムのモリヤ山で主の家の建設を始めた。そこは、主が父ダビデにご自分を現わされ、ダビデが準備していた場所で、
エブス人オルナンの打ち場があったところである。」 Ⅱ歴代3:1
ソロモンによるエルサレム神殿、神の家はモリヤ山上に建てられることが記されています。…「モリヤの山」とは、
あのアブラハムが大切な一人子、イサクを捧げた場所です。そしてアブラハムが息子イサクを捧げたのは、
父なる神がひとり子イエス・キリストの命を捧げた型だったのです。つまり「モリヤの地」とは、イエス・キリストが十字架に
お架かり下さった場所であることが暗示されているのです。
神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。
そしてわたしがあなたに告げる一つの山の上で、 彼を全焼のいけにえとして捧げなさい。 創22:2
▼ 結論として言えばこういうことです。アブラハムがイサクを捧げようとした「モリヤの地」は「オルナンの打ち場」であり、
「主の宮」であり、「エルサレムの神殿」であり、「キリストの十字架」であり、「神の教会」である、と全てが直線的に結ばれているのです。
さらに教会は「復活の主に出会う場所」となることが暗示されているのです。再臨のキリストはオリーブ山に来臨されると記されているから
です。そういう意味でこの「オルナンの打場」は、非常に重要な霊的な意味と教えを持っている場所であるわけです。
Ⅲ.「オルナンの打ち場」と終末時代の教会!
このようにしてダビデの時にエルサレムに臨んだ災いは“オルナンの打ち場”で留められ、その場所に神殿が築かれることになったのです
が、この後残念ながら主イエスの預言どおり→ルカ19:41~44、神殿は破壊されてしまいます。
そしてイエスの十字架の40年後、西暦70年にエルサレムはローマにより滅ぼされました。この時にはオルナンの打ち場で活躍した
「滅ぼす御使い」は現れませんでした。なぜでしょう。破壊が主イエスによってが預言されていたことだったからです。
エルサレムの町には激しい災いが臨み、住民の最後の一人まで殺され、神の家である神殿もまたローマにより徹底的に破壊されて
しまったのでした。エルサレムがこのような災いにあった理由は明確です。
父なる神が犠牲を払って送って下さった一人子イエスを彼らが拒絶し、殺した為です。贖いも神との平和も崩壊してしまったのです。
――神の宮、教会の崩壊――
オルナンの日は終末時代に生きる私たちに対しても警告を発しています。終りの日、災害を留まらせていた防波堤のような役割を
果たしていた神の教会が堕落し、崩壊し、土台石の一つも残されない状況になるというのです。主はマタイ24章で終末の日に関連して
宮、そして神殿の崩壊を語られました。この預言は二重写しのように二段階で成就します。すなわち最初の成就は、西暦70年の
ローマによるエルサレム崩壊の日、そして二度目の成就は終末の日であり、その日神の家であり祈りの宮であるべき教会が崩壊します。
それは物理的な崩壊ではなく、祈りの宮、神やキリストを拝する場所としての神殿であるべき教会が本質的に、教理的に崩壊し、
背教する日を預言しているのです。
使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石(礎石) です。
このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。
あなた方も、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。 エペソ2:20~22
どんな手段によっても、誰にも騙されてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、
主の日は来ないのです。 Ⅱテサロニケ2:3
このようにして終末の日の教会はその土台の教理も教えも崩壊するようになるのです。しかしオルナンを守られた
「抜身の剣持ったキリスト(復活のキリスト))が真の教会の真中に立って守って下さるのです。
私たちは軍勢の将である救い主イエス、また遣わされた御使いたちによって守られていることを覚えなければなりません。
私たちは終末の日が遠くないことを今日の世相から知ることができます。
堅く立って動かされることなくいつも主のわざに励んで歩みたいと思います。
これは今、天上にある支配と権威に、教会を通して神の極めて豊かな知恵が知らされる為であり、
私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた、永遠のご計画によるものです。私たちはこのキリストにあって、
キリストに対する信仰により、確信をもって大胆に神に近づくことができます。 エペソ2:10~12
2021.2.28 青銅の蛇! ― 民数記 21:1~35 ―
▼民数記21章には新世代となったイスラエルの民、ネオ・イスラエルの荒野における“最後の旅”の顛末が記されています。
新生イスラエルの民の旅は一見、カナン人との戦いで初勝利を得る順調な出だしに見えました。
人々は、――「いよいよだ!夢にまで見た、約束の地カナンの地が目前だ!」――そう思ったことでしょう。
…ところが喜びも束の間、彼らはホル山から北上するのではなく、エドムの地を大きく迂回して南に下り始めたのです。民20:14→21:4
▼結局、イスラエルは、カナンの南、ホルマの地まで戻ることになってしまったのです。このホルマとは、遥か南部のアラバの海辺の地域を指していました。実はこのホルマは、あの十二人の斥候の報告により、イスラエルの民が不信仰に陥って以後38年間に渡る、
荒野での放浪が決定してしまった場所でした。 民14:28~30、35~37、44
38年前のあの日、このホルマでイスラエルは主の御心に逆らい、勝手にカナンへ攻め込んで行こうとして、
返り討ちに遭い、敗走して戻って来た因縁の場所だったのです。 民14:34~45
民はホルマへの途上、耐えられなくなり、神とモーセに逆らってつぶやき、不平を吐いたのです。
「なぜ、あなた方は我々をエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。
確かに、新生イスラエルが、“エドム”を迂回して荒野を旅するその道は、再度、危険な荒野と砂漠を南下しなければならず、
困難を極めたに違いありません…。しかも迂回し、引き返す旅程の総距離は相当なものでした。
彼らはあと一歩で約束の地カナンに入れる“入口”にまで来ていたのです。人々は、「ようやく、頑張って、みんなでここまで来たんだ。
…それなのに何だ今更「ホルマまで引き返せ!だって…、そりゃあんまりだ…!」
●――不平を言うイスラエル――●
▼人は我慢ができなくなった時、貯め込んで来た思いが一挙に噴出してしまうものです。…ですが彼らは文句を言う相手を間違えていました。
非難すべき相手はエドムの王に対してだったはずです。…にも拘わらず、ネオ・イスラエルは、口々に神様とモーセをののしり叫んだのです。
ちなみに、「飽き飽きしている」と訳された原文は「私たちのネフェシュが嫌悪する」という文章です。ネフェシュとは、「魂の奥底から」と言う
意味です。ですから、彼らはこの時「心の底から」、言葉を変えれば「自分たちは、全身全霊をもって神を嫌悪する!」と叫んだのです。
さらに「このみじめな食物」とは、神が自分たちに与えて下さった「マナ」を指していました。
「マナ」はこれまで“荒野の食物”として神様が彼らを養うために与えて下さった“恵みの食物”でした。出16:31には、マナの味について、
「…コエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れた薄焼きパンのようであった。」とあり、この民数11:8にも
「油で揚げた(クリーム)菓子のような味」と記されています。それを「…みじめな食物」、「…粗悪な食物」(口語訳)と口々にののしったのです。
私たちは考えなければなりません。神は必要な物を私たちに与えられる。しかしそれは必要な限りであって、最低限のものなのだ。
それ以上のものを欲しがる時、そこに貪りが生じるということを…。また私たちはすぐに神の恵みを忘れやすい者であるということ、
そして忘恩は大罪であるということを…です。
パウロはこの話をコリント書で展開し、不平を言い続ける者は神により滅ぼされると警告しています。
「また、私たちは、彼らのうちのある人たちがしたように、キリストを試みることのないようにしましょう。彼らは蛇によって滅んで行きました。
また、彼らのうちのある人たちがしたように、不平を言ってはいけません。彼らは滅ぼす者によって滅ぼされました。」 Ⅰコリント10:9~10
●――強烈な神の反応とその理由――●
▼6節を見ると神の反応は厳しいものでした。「そこで主は民の中に燃える蛇を送られた」とある通りです。
蛇は民に噛みつき、イスラエルの多くの人々が死にました。「燃える」と訳された「サーラーフ」は、“火のように熱い痛み”を表すことばです。
この、火のような熱い痛みを与える毒を持った蛇(*蛇は複数形で書かれているので、何匹もうじゃうじやしていたのだろう)に襲われて
多くの民が死んだのです。
パレスチナの荒野や砂漠にはこのような危険な動物は蛇以外にも沢山潜んでいたはずです。…なのに、今まで彼らを神様は邪悪で危険な
動物たちから守って下さっていたのです。…私には、そちらの事実の方が実ははるかに不思議なことだったように思われるのですが…。
食べ物に対する民のつぶやきに対して神がこれほどに怒られたのには理由がありました。
「マナ」はやがて神から与えられる「天からのマナ」の予型だったからです。「天からのマナ」とは、
神の口から出る聖書のことばと言えますし、またその言葉を語る為に来られた神の御子ご自身とも言えたからです。
もし私たちも神が語られる聖書のことばに対して、“粗悪”で“飽き飽きした”ものだとつぶやき続けるなら、
それは“霊的ないのち取り”になりかねないことを覚える必要があります。
神のことばである聖書は尽きることのない霊的源泉です。私たちの魂を満ち足らせる素晴らしい福音を感謝して受け取り、その豊かな味わいを
味わうことがなければ、“霊的飢饉”を自ら招き、魂に痛みをもたらすことになるということを、この出来事は警告していると言えるのです。
Ⅱ. 救いの手段としての青銅の蛇! 民21-7~9
神の刑罰から来る激しい痛みを経験した人々は、モーセのところに来て、罪を悔い改めて、救いを求めました。
「私たちは主とあなたを非難したりして、罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去って下さるよう主に祈って下さい。」 民21:7
逆説的に見れば、罪による痛みの経験は再び神に近づくことのできるしるしでもあるのです。痛みを伴わない救いは真の救いとは
なり得ません。誰でも罪を犯し、また失敗をします。自分の罪を認めることは痛みを伴いますが、神に立ち返る機会ともなるのです。
イスラエルの民がこのとき経験した痛みは激しいものでした。…ではなぜこれほどの痛みが彼らに必要だったのでしょうか?
…それは、彼らが悔い改め、同じ罪を犯す事がないための神の恵みもでありました。
モーセが彼らの為に祈ると、主は救済の手段をモーセに教えました。
8→「…あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば、生きる。」
これが神の救済方法でありました。モーセは命じられた通りにしました。すると、蛇が人をかんでも、
その人がこの“青銅の蛇”を仰ぎ見ると生きたのでした…。
▼…それにしても、どうしてこんな面倒くさい指示を神様は示されたのでしょうか?こんな方法をとらなくても、
「蛇よ、去れ!噛まれた者は癒されよ!」の一声で充分だったのではありませんか? これには何かの意味が込められているはずです。
これは青銅の蛇自体に救いの力があったということではなく、神の約束を信じてこれを仰ぎ見た者だけが、死の毒を免れて救われることが
できるという約束にありました。そう、これはやがて地上に来られて十字架の上で死んで下さるキリストを指していました。
後にイエス様はニコデモに対して語られました。
モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、
人の子にあって永遠のいのちを持つためです。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 ヨハネ3:14~16
「人の子が上げられる」、というのは、「十字架につけられる」ことを表しています。イエス様は、モーセが荒野で上げた青銅の蛇は、
ご自分が張り付けられる十字架であることを知っておられたのです。
●――祭壇は青銅で作られた――●
ではなぜ蛇が上げられなければならなかったのでしょう? 聖書において、蛇は罪と呪いの象徴的動物です。
蛇が彼らに死をもたらした事実に注目しましょう。エバを惑わしたのも蛇でした(創3:1)。また、黙示12:9によると、蛇は悪魔であったことが
分かります。そして主は蛇に対してその子孫のかしらが、女の子孫によって打ち砕かれると約束されました(創3:15)。
…蛇の子孫は女の子孫のかかとをかみつくが、女の子孫は蛇の頭を打ち砕きます。それが十字架と復活でキリストが成されたことでした。
そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、
すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷として繋がれていた人々を解放するためでした。 ヘブル2:14~15
つまり蛇が死をもたらしたのは、罪が死をもたらしたと言い換えることができるのです。そして青銅で蛇を作りなさいというのは、その罪に対する神の審きを表していたのです。ちなみに、当時の神の宮の祭壇は青銅で作られており、青銅の祭壇で罪のためのいけにえが焼かれました。それは、“罪に対する神の裁き”、つまり、罪が裁かれたことを表していたのです。しかもそれが、旗ざおという木の上で裁かれたのです。キリストは十字架にかけられ、“青銅の蛇”となって、全人類の罪の呪いと審きをその身に負われたのです。そのキリストを仰ぎ見る者が救われるのです。
モーセが人々の救いの為に、“青銅の燃える蛇”を作り、それを“旗ざお”の上につけ、それを仰ぎ見た者が救われたように、
人の子もまた上げられなければなりません。その理由は、「(十字架のキリスト)を信じる者(仰ぎ見る)がみな、人の子にあって永遠のいのちを
持つためです」ヨハネ3-15と語っているからです。…不思議なことですが、蛇が人々に救いをもたらしたように、
人々の罪の身代わりとして木の上で、神の呪いを受けた御子イエスは、同時に、私たちを救うものとなられたのです。
このように「青銅の燃える蛇」とは、神の怒りと同時に、神の愛のしるしとなり、十字架のキリストの模型であったのです。
蛇はサタンの象徴であり、サタンは全人類に罪という毒を導入し、その影響を受けているアダムの子孫は、死ぬしかない存在でありました。
木にかけられた者は、呪われた者となる (申21:22~13→ガラ3:13) が、サタンの象徴である蛇は、荒野で木にかけられ、呪われたものとなり、それを仰ぎ見た荒野の民の蛇の毒は、無効化されたのです。同じように、全人類は、「罪そのもの」(Ⅱコリ5:21)とされて罰されたキリストを仰ぎ見、信じる事によって、罪という毒は無効化され、いのちを得たのでした。キリストの十字架を仰ぎ見て信じる以外に、救いはないのです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。 ヨハネ3:16~18
イエス・キリストは、十字架の苦しみの断末魔の中で、どうなさったでしょうか?ただ歯を食いしばって黙っていたのではありません。キリストは
祈られたのです。あなたのために、祈られたのです。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」と
神にとりなして下さったのです。この祈りに応えて神はあなたの罪を全て赦して下さいました。それはキリストのいのちの償いの故です。
●――復活の希望を予兆――●
▼上げられた青銅の蛇のおかげで、死にかけていた彼らは生きることができたのでした。これは復活の希望を予兆しています。あなたを造られた父なる神はあなたに単なる長生きではなく、永遠のいのちを持って欲しいと願われました。
わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。
ヨハネ6-40
このキリストの償いを受け入れた証拠として、神はイエス・キリストを、死後三日目に復活させなさったのです。死からの復活の希望、
これこそは人類に与えられた最も大きな希望だと思います。
Ⅲ. それからのイスラエル…! 民数21-10~
民数21:10節以降には、青銅の蛇を仰ぎ見て生きた者たちが、北へと進軍して行くという輝かしい記録が記されています。
それは本当に輝かしい記録です。彼らは谷川のほとりに宿営し、また冷たい井戸のあるところを進みました。
そしてイスラエルの民は、16~17→「井戸よ、湧きいでよ。…」と歌ったのです。
彼らはアモリ人の王シホンとバシャンの王オグとの戦いに勝利し、その地を占領したのです。(民21:23~25)
約束の地に向かっていく新しい世代の者たちが少しずつ整えられていくのをここに見ることができます。
これは彼らが“旗ざお”に上げられた青銅の蛇を仰ぎ見て、生きたことのあかしでした。
▼ここで、神が仰せられていることは、「蛇にかまれない」ではなく、「蛇にかまれる」、でも旗竿の蛇を「仰ぎ見れば生きる」でした。私たちの信仰 の旅路もそうです。苦難の中に置かれ、神への信頼を失い、暗闇の中を、罪の中を、怖れや不安の中を歩むことがあります。神から引き離す
サタンの誘惑や攻撃があります。そこで神から離れた歩みをしてしまう時があります。その中で、主イエス・キリストの十字架を仰ぎ見るならば、
いいえ、仰ぎ見るだけで、神は私たちの主への信頼を再び回復させ、主との交わりの中に入れ直して下さいます。なぜなら主イエス・キリストが
神に裁かれ、のろわれた者となられ、罪と死に打ち勝ち復活されたからです。悪の力、サタンの力に勝利されたからです。
信仰の旅路は、そうやって主イエス・キリストの十字架を仰ぎ見、神への信頼を回復させていただく歩みの繰り返しです。
21章の後半では、敵との戦いが本格的に始まり、勝利が与えられていきます。この勝利は私たちにとっての宣教の勝利を象徴しています。悔い改めて、神との親しい交わりの中で生きる時、サタンとの戦いに勝利する日々を生きることができます。今週も委ねられた務めがあります。計画されている働きがあります。仕える忍耐の歩みがあります。多忙の中に置かれます。しかし、十字架の主イエスを仰ぎ見ることで、神との交わりが回復し、死んでいた魂が生き返り、一つひとつの務め、一つひとつ戦いに私たちは勝利を得ていくことができるのです。
2021.1.31 嵐を静め、悪霊を追い出すキリスト…! ―ルカ8:22~39―
世界はなかなかコロナ禍から抜け出せずにいます。“医療崩壊”が始まっているとの報道、新種のウイルス感染者、死者数の増加、、、
近く、ワクチン接種が始まると言われていますが、“夜明け”はまだ遠いように感じます。
“不安”は新型コロナに留まりません。TVの報道によると今のままで行けば、10年後の2030年には地球の平均気温は“臨界点”に達して温暖化は加速し、平均気温は4度以上も上昇、アジアでは“夏のオリンピック”を始めとした“スポーツ・イベント”は、屋外ではできなくなるそうです。
8月・9月の“猛暑期間日数”は、今の倍以上になり、夏は外出自粛となります。北極や南極の氷が解け、海水温は上昇し、海鮮寿司なども姿を消す…すでに過去100年間で世界の平均海水面は16センチも上昇していて、これからは増々高くなるというのです。シベリアの凍土が溶け、
過去の時代封じ込められていた膨大な量のウイルスやメタンガスが発生し、人類は存亡の危機を迎えるというのです。
また毎夏の大型台風による“大雨洪水警戒警報”の発令、火山の爆発や、大地震、、、人に災いをもたらす“闇の力”は、私たちのすぐそばに、近づいています。…今や、私たちが生きるこの世界、“不安の材料”にこと欠くことはありません。
▼さて、聖書のお話に入りましょう。――ヨルダン渓谷に位置するガリラヤ湖は、南北21km、東西13kmからなる淡水湖です。湖面は海抜マイナス210メートルの低さにあって、険しい岩山に囲まれた湖です。この特殊な地形の為、時に、夜になると“周囲の山々から”吹きおろしの激しい風”が降りて来ます。 …そんな日の、“夕暮れ時”主は弟子たちにルカ8:22→「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたのです。
一日の厳しい伝道活動を終えて後、東への舟旅…ゲラサ人の地までは、南東方面約14キロ、時間にして約一時間半位の舟旅でした。
疲れておられたイエス様は、この小さな漁船の中で「ぐっすりと眠ってしまわれた」(8:23)のです。
▼この箇所を通して、お疲れになることがあったイエス様に慰められるのです。イエス様は本当に疲れておられました。私たちはしばしば、「ああ疲れた、疲れた。しんどいなー。眠くてたまらない。もう明日仕事行きたくない!」…そんな時ありませんか?イエス様のこの時の“熟睡度”…相当高かったのです…。
▼W・バークレーという聖書注解者は、この箇所をこう描き記しています。
「ルカはこの物語を…生き生きと描いている。…イエスが湖を渡ることにしたのは、疑いなく、休息を必要としたからである。…漕ぎ始めて程なくイエスは眠りに落ちた。…イエスの眠っている姿を想像するのは何と心楽しいことだろう。…我々と全く同じように彼も疲れを覚えられたのだ。 彼もまた“消耗の域”に達し、この時“激しい睡魔”に襲われていた。 彼は弟子たちを信頼していた。彼らはこの湖の“漁師”だったからである。」
…彼(キリスト)は主の前に、ひこばえ(孫生え)のように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。彼は蔑(うと)まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。…」 イザヤ53:1~3
これが人となって下さったイエス・キリストの生身の姿です。イザヤのこの言葉にほっとしませんか?
▼…さて、そんなイエス様が休んでおられた舟に危機が訪れます。…舟を転覆させる程の強い「突風が湖に吹きおろし」て来て、彼らを危険に陥れたからです。舟の浸水が始まりました。…たまらず弟子たちは、「…眠っておられるイエス様を起こして、「先生、先生(ヘブル語では『ラビ』)」と呼びかけ、私たちはおぼれて死にそうです」と激しく訴えました。マルコは更に強い口調でこの部分を記しています。マルコ4:38→「先生、私たちが死んでもかまわないのですか!」。マタイ8:25→「主よ、助けて下さい。私たちは死んでしまいます。」と…。
弟子はみな元漁師でした。彼らはこの湖で何十年も生きて来て、ガリラヤ湖について、その知識も豊富だったはずです。…そんな彼らが怯え、慌てふためいているのです。これは、この時の“突風”がいかに激しいものだったかを示しています。
▼私たちには人生が制御できない時があります。コロナのこと、仕事のこと、経済的なこと、これからのこと、いのちのこと…考えれば考える程、不安になる時があるのではないでしょうか?…しかし、そのような夜にもイエス様が熟睡されていたのです。これは慰めではありませんか?
考えると、このイエス様の“爆睡”はこの嵐が“制御不能”なものではなかったことを示しています。イエス様はこの激しい嵐にあっても、万事を益として下さる父なる神の愛の御手の中にあることをご存知でした。ですから私たちは眠りにつく前に、「主よ。この夜、私をお守り下さい。私の体、私のたましい、…私の全てのものをあなたの御手にお委ねします。…絶対的にあなたを信頼する力をお与え下さい!」そう祈る必要があるのです。
「…しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません」 マタイ10:29
イエス様は起き上がると、8:24→「…風と荒波とをしかりつけ」ました。すると「風が波も収まり、波も収まり、凪が訪れた…」のです。
興味深いのは、イエス様が直接的に「風と荒波」を叱りつけられたことです。まるで人間に対するかのように。
これはマルコ1:25→「黙れ。この人から出て行け!」と悪霊に叫ばれたのと同じです。イエス様は全ての世界、次元にあって、
全ての支配者であるということが判ります。
その上でイエスは弟子たちに、「あなたがたの信仰はどこにあるのですか」(8:25)と言われました。
▼イギリスが誇る“タイタニック号”は、かつて“絶対に沈まない船”と言われていました。でも、映画の中で、「鉄は沈むものだ…」と乗客に言わせていたのは印象的でした。確かにどんな舟でも沈む可能性があるのです。この木造船の場合は、なおのことでした。しかしながら舟には、神の御子イエスが一緒に乗って下さっていました。イエス様と同船している舟が沈むことなどあり得ません。そのことを私たちは信じ、疑ってはなりません。弟子たちは助かりました。彼らがイエス様にすがったからです。 彼らはこの出来事”を通して、イエス様が単なる律法の教師ではなく、
8:25→「…風も水も、お命じになれば従」わせる“真の権威者”であることを知りました。
世に勝つ者とは誰でしょう。イエスを神の子と信じる者ではありませんか! Ⅰヨハネ5:5
あなた方は心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 ヨハネ14:1
イエス様は弟子たちに信仰心があることは認めておられたのです。しかし主は彼らに言われました。ルカ8:25→「あなた方の信仰はどこにあるのです」。マタイの福音書ではこうあります。マタイ8:26→「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち」。マルコ4:40では→「どうして怖がるのですか、まだ信仰がないのですか。」
私たちに対しても主は同じように言われています。私たちの信仰は余りにも弱いのでは?薄いのではないでしょうか?いったいどこに信仰があると言うのでしょう?イエス様と一緒に生かされているのに…。いつも、私たちの傍らに、私たちのためにいのちを捨て、よみがえられたイエス様が共におられるのですから、どんな“人生の嵐”に直面しようとも、私たちは何ものをも恐れる必要はないのです。堅く信仰に立って歩みましょう。
「見よ。私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいます。」マタイ28:20
一行はゲラサ人の地に着きました。ここの人々は“まことの神”を知らない異邦の人たちでした。
さて陸に上がるとすぐに“悪霊に憑かれている男たち”と出会いました。マタイ8:28「悪霊に憑かれた人が二人」とあります。
墓場には、実は二人の狂人が繋がれていたのです。マルコとルカは、このうちの一人にスポットを当てて記しています。
27→「彼は、長い間、服を身に着けず、家に住まないで、墓場に住んでいた」のです。彼は、完全に悪霊の支配下に置かれ、“人間としての感覚”を失い、“人”として扱われず、捨てられて、墓場に鎖で縛りつけられていたのです。ガリラヤ湖の南西部の湖岸には花崗岩の洞穴が沢山あり、人々は墓として利用してもいました。そんな洞窟に二人は閉じ込められていました。そのような男にイエス様は出会って下さったのです。
いやこのゲラサ人の地にわざわざ湖を渡って来られたのは、この二人の男に出会い、彼らを救う為であったのです。
「人の子は、失われた人を捜し出して救う為に来たのです。」 ルカ19-10
●――悪霊はイエスの力を信じ、人はイエスを信じない…という“皮肉”な話――●
マルコは、5:6→「(男は)イエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し」と記しています。…つまり、悪霊は、誰よりも“イエスの権威と力”とを知っていて、ここで完全にイエス様に降参していることが分かるのです。悪霊どもは、イエス様に対しては、逃げようがないと諦め、あわれみを請うしかないと知っていたのです。…何と、六千もの悪霊軍団がです、全員一致して、
この方を28→「いと高き神の子、イエス様」と認めています。
…他方弟子たちはと言うとどうでしょう?8:25→「…いったいこの方はどういう方なのだろうか。」弟子たち同士で、互いに驚いているのです。…皮肉な話です。サタンや悪霊どもですらイエス様を神の御子と認めているのに、主の弟子たちですら、そして私たちが生きるこの時代も同じく、災害が起こっても、コロナ禍にあってもキリストをなかなか神と信じません。先ほど見たように、風や海といった自然界ですら、イエス様のひとことに服従しているというのにまことに不思議な話です。
▼29→この人は、「鎖や足かせでつながれて看視される」必要がある、非常に危険な男でした。
主がこの男に名を尋ねると、「レギオン」と答えましたが、それは、ローマの軍団の単位で、六千人もの兵士から構成される大集団でした。そして、8:31→「悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、と自分たちにお命じにならないように…おびただしい豚の群れに…入ることを許してください」と懇願したのです。
これは、悪霊がイエスの権威に完全に服さざるを得ないことを示しています。
イエスが許されると、33→「豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖に入り、おぼれ死んだ」のです。
豚の飼い主たちはこのことに驚き、37→イエスにこの村を出て行ってくれと頼むのでした。彼らは、悪霊よりも強いイエスを恐れたのです。
III. 家に帰って家族に、どんなに大きな祝福を下さったかを、話して(証詞・伝道)聞かせよ!
悪霊どもはこの男から豚に乗り移っていったのですが、この豚の数、半端ではありません。マルコ5:13によれば、その数は二千頭に及んでいます。ローマの軍人で言えば六千、豚に替えれば二千頭…、何という“恐るべき力”でしょう。これらの悪霊の大群を、あっと言う間にイエス様は退治なさったのですから…。村の人々は、8:35→「恐れた」のです。
この癒された男はかつて同じ村の仲間だった男が癒されたというのに、そんな喜びより、人々はレギオンに憑かれた人を見て悪霊に怯え、また悪霊を追い出したイエスを見てさらに怯えているのです。彼らには自分たちの身に損害がもたらされることを避けようとする思いがあるだけで、真理を求める心はありませんでした。
●――あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい!――●
「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい」 ルカ8-39
▼彼はイエス様について行きたかったのです。8:38→「お供をしたいとしきりに願った。」と書かれています。こんな奇跡を経験すればイエス様について行きたいと誰でも思うに違いありません。こんな冷たい人たちしかいない村に留まりたいと誰が思うでしょうか?今やこの男には、家も家庭もいないも同然なのですから…。
しかしイエス様は、彼にマルコ5:19→「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい…」と言われました。
このみ言葉の中に、私たちはキリスト者の証しの在り方を考えさせられるのです。キリスト者の証しは、まず何よりも、家庭、家族の中において表されなければなりません。…見ず知らずの人々の間で、キリストを証詞して生きることはそれほど難しいことではありません。ですが家庭では難しいのです。この男の場合、家はこの村にありました。そこで証詞をしながら生きることは難しいことであり、それはイエス様について行くことよりも難しいことだったのです。
しかし、主はこの地に留まり、福音をこの地で彼に伝え続けるよう命じられたのでした。
イエス様はペテロやヤコブの故郷で彼らに伝道させました。…そうやってこの男は故郷での伝道に専心し、ついに8:39→結果的に、彼は故郷でこの素晴らしいイエスの福音を伝えたのです。マルコ5:18~20を読みましょう。
▼あなたにも、あなたにしか届けられない“魂”があり、あなたはその方に福音を分かち合うように召されているのではないでしょうか?
イエス様がこの男に起こして下さった変化は、この人を“悪霊の支配”から解放しただけでなく、この人が、自分よりも豚を気にかける“冷たい人々”のただ中に住み、その人々に福音を告げさせるということでした。
誰の役にも立たなかった、人々の恐怖の的であった男たちは、イエスに出会って今やこの男たちでしかできない働きを見い出したのです。人は誰しも、心の底で、“生き甲斐のある人生”を求めています。“無用の存在”として軽蔑されるのは、何よりも辛いことだからです。イエスの救いは、“現実逃避”をもたらすものではありません。逆に主は私たちに“私でなければできない特別な働きの場”を与えて、この世のただ中で命を輝かせるために“逆境”をも与えて下さっているお方なのです。
ただのひとことで、“大嵐”を静め、“強力この上ない悪霊”を追い出されるお方が、あなたの人生の真の同伴者なのです。
イエス様が共に歩んで下さるので、私たちは人生の海の嵐のただ中に漕ぎ出すことが出来ます。見せかけの平和ではなく、私たちは置かれている状況に関わりのない真の平和(シャローム)を、イエスとの交わりの中に見い出すことができるのです。